防災・減災への指針 一人一話

2013年12月04日
震災の記憶
多賀城 下馬商店街会長
三浦 一浩さん

多賀城市の復旧・復興に関して

(聞き手)
 これからの復旧・復興に関しての思いをお聞かせください。

(三浦様)
子どもたちは何カ月間も不自由な状態で、精神的に辛かっただろうと思いますので、子どもたちの心のケアをしていきたいと思います。遊ぶ場所でもあるグラウンドがごみ置き場になっていたこともあり、なんとかしたいという思いがあります。

(聞き手)
多賀城市の復旧速度は、どのように感じていますか。

(三浦様)
遅くはないと思います。国道45号も、早めに被災車両を撤去していました。

(聞き手)
支援状況について、教えてください。

(三浦様)
下馬地区にもボランティアさんが来てくれたとは思いますが、大きな被害はなかったので、大部分の方は、個人で片付けていたと思います。私の自宅も自分で片付けました。個人宅には義援金などが出ていましたが、商売をしている所には、最初、何も支援がなかったものの、後から国の援助がありました。ただし、店の建て替え分の数パーセントを支援するというもので書類関係も審査が厳しいものでしたので、資金繰りが大変でした。

(聞き手)
お店の片付けも自分たちでされて大変だったようですが、下馬商店街では、皆さん協力して片付けを行ったのでしょうか。

(三浦様)
個人で片付け出来るくらいの被害でしたので、家ごとに自分たちで行いました。私の所は早く片付いて再開出来たので、水が上がったという海沿いにいる友人の所にストーブや食べ物を持っていきながら、応援に行って手伝いなどをしました。

(聞き手)
お店の仕入れは出来たのでしょうか。

(三浦様)
すぐにはできなかったので、あるものを出していました。徐々に問屋さんも復旧して、4月から少しずつ仕入れられるようになりました。

記憶させるための被災地行き

(聞き手)
 震災を通じての教訓はありますか。

(三浦様)
災害などが発生して、家族が離れた場所にいて、連絡が着かなくなった場合に、それぞれがどこに避難するのかという話し合いをしておくべきだと思います。
私は今回の震災を忘れないようにという事で、家族を連れて1~2週間くらい経ってから石巻に行きました。
実際に大地震が来ると、このようにひとたまりもないという事を胸に刻んでほしくて見に行ったのですが、他の家庭でも話して伝えていく事は大切だと思います。

(聞き手)
震災から間もない、まだ混乱している時期に行かれたようですが、ご家族の反応はいかがでしたか。

(三浦様)
子どもたちはショックを受けるだろうとは思っていましたが、事実を知っておくべきだと思い、行く前にこういう状況で何百人もの方が津波で流されて亡くなったのだと色々話をした上で行きました。
国道45号を通った時は、両脇に車が2~3台重なっている状態で、ここまで津波が来たという跡も残っていましたから、ショックを受けていたようでした。

(聞き手)
お子さんは震災後に、何か変わったという様子は感じられますか。

(三浦様)
地震に対して前よりも敏感になったと思います。その時いる場所によって行動の仕方が違うと思いますが、津波は怖いのだという事がわかったのでしょう。

(聞き手)
臨機応変に考えて行動するようになったという事でしょうか。

(三浦様)
震災の時に、長男は友だちとボウリング場で遊んでおり、津波が来るかもしれないからすぐに帰れと従業員さんに言われて、急いで戻って来ました。
私の店に来るお客さんの話を聞くと、津波が来ないと思って、遊んでいるうちに亡くなった人もいると言っていました。
長男は店の人の話をきちんと聞いて行動できたので、良かったと思います。

(聞き手)
商店会会長さんとして伝えていきたい事は何かございますか。

(三浦様)
下馬地区は高齢者が多いので、若い方にも頑張ってほしいと思います。今後は、建物も古くなっていくので、耐震も考えていかなければなりません。また、昔からの建物が多いので、地震による火災にも気を配る必要があります。

(聞き手)
昔から下馬地区に住んでいるという方は多いのでしょうか。

(三浦様)
はい。そのせいか、近所付き合いは緊密に出来ているようです。今回の災害で、声を掛け合って交流することの大切さを強く再認識したのではないでしょうか。

(聞き手)
下馬地区の住民の方たちはどちらに避難されたのでしょうか。

(三浦様)
下馬は天真小学校と総合体育館が避難所になっていたので、皆さんそこに避難していました。
集会所もあるのですが、避難場所に指定されてなかったので、開ける事が出来ませんでした。
ですので、当然、集会所には食べ物や水といった物資も来ませんでした。緊急時はそういうところを、行政に臨機応変に対応して頂けると嬉しいです。
電気が復旧して、ある程度落ち着いてからは、皆さん普段通りの生活に戻られたようでした。

震災の体験を通じて

(聞き手)
 最後に話しておきたい事がありましたら、お願いいたします。

(三浦様)
震災で辛い思いをした事もありますが、子どもたちには色々勉強になった部分もあるのではないかと思います。
長男はボランティアに行っていましたし、電気や水がない生活というのも経験して、電気や水のありがたみがわかったと思います。
水を汲んできてトイレを流すということや、食器が洗えなかったのでサランラップを使って汚れ物を出さない工夫を教えました。
我慢していた事もあったでしょうが、水を汲みに行く時も、嫌がらずに一緒に来ていましたし、助け合って自分たちも手伝わなければならないという気持ちがあったのだと思います。
今回の震災は、色々な面で勉強でした。
携帯用のコンロでご飯が炊けたので、食べ物は不自由しませんでしたし、石油ストーブが2~3台ありましたので暖も取れました。
灯油がなくなった時は、県外の知り合いに急いでお願いし、ポリタンクで持ってきて頂き、助かりました。
話は変わりますが、私は日中、中学校指定の制服店を経営しています。そこで、制服が津波で流されてしまった中学生に対し、あるNGOから寄附金を頂いて、無償で作り直したという事がありました。
多賀城市が調整役として間に入ってくれました。
かなりの寄附金を頂いてできた事なので、大変ありがたく思っています。